2021年9月 4日 (土)

文学には「正解」も「ゴール」も何もない

考えてみるに、文学には「正しい答え」も「ゴール」も何もない。スポーツやゲームのように規約や拘束

もない。わたしたちは真に自由の世界に投げ出されている。自由という無限の世界を謳歌できる。目もくらむ

ような魅力的な世界だ。たとえばセザンヌもゴッホもゴールではない。バッハもモーツァルトも。時代や時を超えて

生き続け、私たちをとりこにする。しかし、それはまたとらえることができない苦渋の世界でもあるだろう。

何百年前の作品でもいつまでも新しく感動をあたえ続けるのだ。しかし、時空を超えるほどの作品を生む。

それを大前提とする。恐ろしい世界でもある。

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2021年8月12日 (木)

ついに専門家は「自分の命は自分で守れ」と言い出した

東京都の新型コロナウイルスのモニタリング会議が8月12日にあり、都内の感染状況について専門家は「東京都の
感染状況は制御不能な状況だ。災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態」と報告した。
医療提供体制については「深刻な機能不全に陥っている」とコメントし、さらに「自分の身は自分で守る」緊急
事態であると宣言した。
現在のペースで感染増加が続くと、2週間後の25日には、1日当たり5113人となるとの予測を示した。国立
国際医療研究センターの大曲貴夫・国際感染症センター長は「もはや災害時と同様に自分の身は自分で守る感染予防
のための行動が必要な段階である」と強調した。

なぜこうした事態に陥ったのか。最大の要因は、東京オリンピックの強行であってたことはだれしも否定できない
だろう。三密を守ろうと呼びかけてもオリンピックをやっているのだから、私たちは深刻さを認識できない。
東京の感染状況は爆発を続けても、意識から抜けていく。こうして東京の感染状況は制御不能の状況に陥ってしまった。
専門家たちは、大災害で孤立してしまった住民にしか呼びかけない「自分の命は自分で守れ」と、ついに言い出した。
私たちはもう救助不能の孤立国民である。

ここまで私たちを追いやったのは誰か?
この主要な犯人は首相と都知事である。即刻責任をとり退陣してもらいたい。

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専門家たちは「東京都のコロナウイルスの感染状況は制御不能」と訴える

 


 

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2021年2月 8日 (月)

早稲田大学広報誌『西北の風』no.238

卒業生に早稲田大学広報誌『西北の風』が届いた。特集が「コロナ過 早大生た

ちの挑戦」で、表紙に大隈銅像の付近を歩いていく学生たち三人が写っている。

普段は、この付近は学生たちで賑わっているはずなのに、侘しい。超難関といわ

れる大学に見事入学を果たした学生も多かったに違いない。その校庭にも入れない彼らの心情を思うとき、残念でならない。Img_0792-2

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2021年1月12日 (火)

学生スポーツの外国人利用、これでよいのか?

1月11日、大学ラグビーの決勝戦が行われ、天理が優勝した。しかし、違和感を覚えた人も少なくないだろう。

天理は外国人留学生を利用して優勝した。トンガなどの留学生なしでは優勝できなかったと感じるものも多いだろう。

早稲田も明治も日本人学生のみで戦っている。これは日本の学生スポーツなのだ。ルール違反ではないだろうが、

純粋な日本の学生スポーツに汚点を残すことになる。先日の箱根駅伝でも同じようなケースがみられた。

これでよいのか、一歩、立ち止まって考えよう。

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2020年9月 2日 (水)

自民党、新総裁・菅は終わりの始まり

政党の党首の顔はその党の全てを支配する。失礼ながら菅さんの顔は党を台無しにする顔だ。

努力家で真面目、しかし内容が希薄、党首の顔ではない。これで自民党の凋落がいっきに始まるだろう。

幹事長のひとを見る眼がない。どろどろした暗躍のくりかえし。こんな人物を選んだ自民党の失策だ。

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2020年3月20日 (金)

早慶戦番外編

 

 

 

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2020年1月19日 (日)

ウインドウズ7騒動に巻き込まれて

ウインドウズ7を愛用していたので、そのサービス終了で、数日混乱して

しまった。ウインドウズ10への移行に伴い、ウイルスバスターが効かな

くなった。シリアルナンバーを正しく記入しても、正しくないので、入れな

おしてくださいというメッセージが流れる。数十回は試行錯誤を繰り

返しても、エラーメッセージは流れ続ける。ようやく二日前に設定

が終了したのだが、その原因は、ウイルスバスターの種類の違い

に気づかなったためだ。ほんとうにITの世界は難しい。

しかしそれに頼らなくては、エッセイや評論は書けなくなった。IT界は

うまく使えば便利過ぎて、快適だからだろう。書き直しや文章移動など、

簡単にできてしまう。文章の練りや奥行きに凄さを与えてくれる。し

かし、手書きには、手書きの良さや優位性があり、頭脳から首筋、肩

へと流れる微妙な神経作用や神秘的な有機的な世界の奥行きを失

っていく。そのようなものを私たちは失い続けていくに違いない。

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2016年1月 9日 (土)

感情とは意味であるー朔太郎の先見性

詩の根源は「感情」である。しかし私たちは感情についての限りない考察
や追究を怠ってきたのではないか。「情的過程全般を指す」という辞書的
意味に拘泥し、生身の人間存在と絡ませた感情論を回避してきたように
思われる。延いては、それは狭義的抒情詩論の横行を放置してきたこと
にもなるだろう。
萩原朔太郎は昭和の初期に出版された『詩の原理』のなかで次のよう
な「感情とは意味である」という「感情論」を唱えている。私たちは朔太
郎まで立ち戻ってみる必要もあるだろう。

意味の最も深いものは何だらうか。主観的に考へれば、意味とは気
分、情調である。人が酒に酔つてる時、世界は意味深く感じられる。
恋をしてゐる時、世界は色と影とに充ち、到る處に意味深く感じられる。
そして道徳や正義感に燃え立つてる時、或は宗教的な高い気分にな
つてる時、すべて人生は意味深く、汲めども盡きないものに感じられる。
そこで主観に於ける此等のむ気分を、逆に呼び起してくるもの、即ち感
情の高空線に音波を伝え、心の電気を誘導させてくれるものは、すべ
て、意味としての認識価値があるものである。 
                    「感情の意味と知性の意味」より

さらに朔太郎は別の箇所で、「意味の深さは感情の深さに比例し、よ
り情線に振動をあたへるものほど、より意味の深いものである」と論
じている。朔太郎の詩論には「感情の意味」という言葉が頻出する。
感情とは単なる心の動きではなく、意味世界も包容するものだとう持
論を強調したかったのだろう。この「感情の意味」論は、感情・抒情と
いうものを単なる心情の吐露として批判した戦後の短歌的抒情批判
をすでにこの期に否定していたことになる。感情世界の深い奥行き
を朔太郎は捉えていたのだ。
現代詩が閉塞状況から脱皮できない背景の一つに、この「感情」追
究の希薄さを指摘できるだろう。情感の吐露=抒情詩という狭義的
詩的概念に固執するあまり、現代詩は詩における「感情」を軽視した。
感情は意味・思想・認識さえも包容することを朔太郎はすでに見抜
いていたのだ。

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2014年5月26日 (月)

古本屋さんの立原道造

 久しぶりに近所の古書店によってみた。二軒あったが、いつの間にか、
一つはなくなっていた。このごろ、気づかないうちにいろいろなものがど
んどん消えている。
 横道に入った古本屋は続いているが、バイトの女の子もいなくなり店主
らしい人が愛想よく挨拶していた。ここは意外と文学書があり、今回も良
い本が見つかった。買いそびれていた現代詩読本「立原道造」だ。道造
の知らない写真もいくつか載っていた。500円では安い。嬰児のころや子
ども時代のものもあり、かわいらしい。中には嫌な表情のものもあった。
本人は載せてほしくなかったに違いない。わたしもなるべく見ないように
見ることにした。
なかでは吉行理恵の「立原道造ーー初恋の人」が面白かった。

 はじめて、道造と会ったのは図書館でした。

 とあり、本の中の小さな道造の写真に惚れたそうだが、容姿だけに
惚れたのではありませんとあり、「晩秋」という詩を引用していたが、ど
こか疑わしい。
でもそれはそれでよい。いまそんな詩人はなかなかいないようだから。
因みに「晩秋」をのせてみよう。そんなに惚れてしまうような作品ではない
ようなのだ。

  晩秋

 あはれな 僕の魂よ

 おそい秋の午後には 行くがいい
 建築と建築とが さびしい影を曳いてゐる

 人どおりのすくない 裏道を

 雲鳥を高くとばせいゐる
 落葉をかなしく舞はせてゐる
 あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
 お間へは限りなくつつましくあるがいい
 (後略)

けれども道造は読む人の心身にとり憑き、虜にするようだ。
詩の側からとり憑いてくる、そのような詩人は少ない。
道造がいまもよみつづけられているのは、その魅力なのだ
ろう。


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