2008年3月30日 (日)

ショパンの音の秘密

 ショパンには謎が多い。
 楽譜に指定された不思議な指使い、短すぎるぺタルの離し方、書き添えられた
演奏の指示など。その謎を解き明かそうとして、ショパンを愛するピアニスト仲道郁
代が小学生の娘とヨーロッパを訪れ、ショパンの足跡をを旅するNHKの番組「ピアノ
の詩人ショパンのミステリー」を見た。
 圧巻だったのは、ショパン時代の古いピアノに向かって仲道が弾きはじめる場
面だ。ショパンがのり移ったかのように指が思わず動き出す。「ああもう時間を忘れ
てしまう」とつぶやきながら。「子犬のワルツ」「前奏曲 第4番ホ短調」「ノクターン
嬰ハ短調遺作」など、指はショパンを奏でていく。その何という微細な美しい音の
響き。
 それは現代のピアノと全く違うのだと彼女はいう。大会場に響き渡る音量こそな
いが、音符の細部まで繊細に演じることができる。それは二○○名程度収容する
会場に適したピアノだからだ。
 弾きながら仲道は謎が解かれはじめていくのを感じていた。ぺタルを押し続けて
も決して濁らないその響き―ぺタルの指示の謎、一本の指だけで弾かせる美の音
ーこの指には特有の音があるというショパンの感性。このピアノでこそ、ショパンの
美の本質をつむぎだすことができるのだ。そこにある、このノクターン遺作の、何と
いう哀しい美しい響きーー。
 その音はかつて体験したあらゆる演奏を超えて響くのだった。こんなショパンを
わたしは聴いたことはない。
 現代の進歩しすぎたピアノはショパンの繊細さや美を損なってしまっていると仲
道郁代はいう。

 そういえば以前、わたしはそれに近いピアノの響きを聴いたことがある。
 近所に住んでおられた著名な作曲家清瀬保二氏宅を仕事で訪ねたことがあっ
た。質素な居間には見たこともないような古いピアノがあって、それが気になって
眺めていると、氏は「こんないい音ですよ」と言って立ち上がって弾きはじめた。
 そのときの柔らかくて美しい音をわたしはいまも忘れない。わたしが聞きほれて
いるのが嬉しいらしく何度も弾いてくださった。それはフランスのエラール社製
のピアノだという。
 後で知ったのだが、そのピアノの音は繊細で美しく、当時垂涎の的になってい
て、清瀬氏がヨーロッパから購入され話題を集めたそうだ。その貴重な音を聞か
せていただいた氏に感謝したい。

 ショパンに限らずバッハやモーツァルトなどの曲も本来同時代の楽器で演奏し
なければその本質は表現できないのかもしれない。私たちはこうしてほんとうの
美を少しずつ失っていくのだろう。       (2008/03/30)

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2008年2月26日 (火)

ありがとう桜庭英子さん

友人の詩人桜庭英子さんが去る1月11日、永眠されたことをご家族からのハガキで
今日知りました。
病気で入退院を繰り返していたのを知っていましたが、こんなに早くとは思ってはい
ませんでしたので、ショックを受けました。

桜庭さんとは詩誌『地球』の同人仲間ですが、「思い川」という個人誌を出していて、
わたしも数回依頼されて原稿を書きました。彼女は巧みな表現で美・感動・抒情を
追究しつづけ、魅力的な詩を遺しました。

次の詩は昨年末刊行された詩誌『地球』145号に載せられたもので、おそらく遺作と
いわれるものになると思います。
ふいにこの存在を襲うどうしようもないものへの思いや揺らぐ心情が抑制されて表現
され、無念さや哀しみがひしひしと伝わってきます。最期の際にいたってのこの抑制
された表現には詩魂のようなものさえ感じました。

たいへんお世話になりました。

ありがとう、桜庭英子さん。

 「途次」

気がつけば
萎れた薔薇となって仆れていた

いまごろ去ってきた部屋の
読みかけの赤い詩集は
きみが開いてくれたページの
柔らかな花びらのフレーズも
ついに解説されないまま
風の視線に晒されているだろう

あのときわたしは
花の香りに酔い痴れていた
いきなり彼奴(サタン)に背後から突き落され
転がりながら墜ちてきたのは
見知らぬ町はずれのホスピタルだった
(背椎移転による不全麻痺)
新しい名まえをつけられて失った感覚
まったく動かなくなった下肢に
レインボーカラーのタオルケットを纏い
かすかな奇跡を希いながら
バラマウントベッドの上で明日を夢みる

―――忘れないでね
   枯れかけた薔薇を
   覚えていてね
   わたしは今 此処にいる―――
往くも還るもできずに
エタノールの仄かに漂う異郷の
道のほとりに うずくまっている

雲の切れ目から射してきた一条の光
そう きっと
きみが助けにきてくれたにちがいない
それとも?        
   ――2007年7月7日――

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2007年11月28日 (水)

世の中ウォッチング

★捨てたらバチがあたりませんか
「赤福」「マクドナルド」などの賞味期限ごまかし事件が続いています。 しかしアンコ
入りお菓子が二日程度で悪くなるはずはない。捨てたらバチがあたりますよ。値引き
したり、冷凍モノはそれを明記して売ったらどう?

 ★なぜいつも三人なの?
著名企業の商品のごまかしが続きます。テレビの会見を見てると、きちんとスーツを
着て、並んで頭を下げている。あれどうしていつも三人なのですか?ある外国人が
聞いたそうだ。日本にはあのような儀式があるのですか?


★鬼たちも怖がって降りてこない
大江山
むかし丹波の、大江山
鬼どもおおく、こもりいて
都に出ては、人を食い、
金や宝を、盗みゆく

むかし、こんな唱歌がはやりました。ところが、このごろ大江山の鬼たちの間に異
変がおこっているという。平成の世には俺たちより怖いニンゲンたちが棲むというの
で、鬼は怖がって降りてこなくなったそうだ。

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2007年5月10日 (木)

「○○さんを見た」有名人ウォッチング

 わたしの住んでいる地帯には何故か著名人が多い。ごく普通の何の変哲もない街なのだが、テレビの収録スタジオがあったり、隣の駅が一応高級住宅地という立地条件もあるのかもしれない。
 自転車散歩が好きだから、毎日のように出かける。そこで一番よく出会うのが演出家のあの「和田勉さん」だ。あのひとは百メートル前方からでもすぐわかる。何しろ顔も着るものも派手だから。彼は何故かよくわたしの邪魔をする。ATMのすぐ前に並んでいたり、郵便局でも番号札が一つ前だったり。最近は、立派な自転車に乗っているのを見た。奥さんの和田エミさんに買ってもらったのかな。
 その次によく出会うのは「秋野暢子さん」である。何しろ、スタイルが抜群。若い女性かなと思って通り過ぎると彼女だったりするような若づくりだ。いつだったか、100円ショップに入っていると、親子連れの客が隣にきて、「二つ買ってもいいんだよ」と娘に言っているので見たら彼女だった。その娘さんの可愛いこと、ちょっといない位。このところ、離婚してから見かけていないから、引越ししたとしたら残念。
 ある日のTM銀行でのこと、女性が隣に座っていた。どこかで見たような人だと思ったら、「八千草薫さん」だった。窓口でご主人の映画監督の名前で呼ばれていたので、間違いない。年齢から見ても随分若々しい。
 最寄の駅は改装されずいぶん立派になったが、以前は自宅に帰るには踏み切りを渡らなければならなかった。いつだったか、遮断機があがるのを待っていると、洋服を肩からかけチラチラ顔をみせるように振り返っている女性がいた。顔の四角なタレント「光浦靖子さん」だった。
 商店街に自転車屋さんがある。それがトンネルズの「木梨憲武さん」の実家だ。彼そっくりな人のよさそうな親父さんが仕事している。以前の店は駅から随分遠く、都内でいちばん小さい自転車屋さんといった感じだったが、大手スーパーの立ち退きにあってか、かなり大きく立派な店になり客も増えたようだ。
 それからこれはかなり前だが、作家の「大江健三郎氏」が自転車で道端の干し魚を買う姿を目撃した。個人的に何度かあっているから名乗ればわかってもらえるのだが、こんなときには見過ごさなくてはいけない。目刺しを指差し何やら質問していた。こうして食材を買うのが楽しいと文学雑誌に書いているのを読んだことがある。
 これも随分前だが、「司葉子さん」がスーパー西友(今はない)で買い物をしていた。化粧は濃い目だが、きれいだった。司さんの邸宅は隣街にあるが、広い芝生の美しい庭がある。
 電車で見たのは「唐十郎氏と李礼仙夫妻」だ。李さんががしきりに話かけるのに知らん顔をしていた。そのせいか、まもなく離婚したようだ。
 最近、惜しまれて亡くなった「植木等さん」も見かけたことがある。お宅はわたしの家から徒歩数分の小高い場所にある。眼が合ったが、挨拶するわけにもいかず、困った。
 その近くに娘がファンの「中村雅俊さん」の家があったらしいが、そう遠くないところへ引っ越したという。
 隣の街で、自転車に乗った指揮者の「小沢征爾さん」とも眼が合ったが、やはり戸惑ってしまった。こちらはよく知っているのに、向こうさんは知らない。こんなとき、みなさんはどうします ?

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2007年2月16日 (金)

あるものはあるがままに

 ものごとへの根源的な追究や変革への情熱は精神的社会的な基盤を豊かにし魅力的なものにしてきたことは確かだ。そのことで私たちはいかに多くの知的な喜びを得、心身の苦痛から逃れ、さまざまな利便性を獲得してきたことだろう。しかし昨今はこの自明の論理が否定される状況を呈している。私たちは追究と変革にあまりに執念を燃やしすぎた。

 科学も究極の物質探しに明け暮れてきた。物質の究極とされた原子はじつは電子と原子核から成ることが判明し、さらに原子核は陽子と中性子から成り、その後も数多くの素粒子が発見された。
このような物質の根源への追究に何ら疑問を挟むものはいなかった。現在では根源とされるものは物質ではなく弦のようなものとする超弦論が支配的であるが、わたしは疑問を持つ。この階層構造は実は無限に続くものではないか。人類はそこへは永遠に到達し得ないだろうと。世界には始まりも終わりもない。すべては巡っている。物質の根源への旅も元のところに戻っていくにちがいない。さらに世界は無数の次元でできている。次元を異にすればもう法則も理論も概念も通用しない。どんな崇高な発見も理論もやがて水泡に帰してしまうだろう。
悪魔の兵器・核爆弾はそんな物質への飽くなき追究の過程で生まれた。原子核の組成を調べるためにそれに中性子を衝突させる。それが禁断の扉を開いてしまい、理論の構築者アインシュタインをのちに後悔させることになる。

 私たちの欲求は原子核を原子核として、あるがままに存在させておくことを許さない。それは自然環境や動植物へ、人間自体にも及ぶ。ブルドーザーに開発される山河。利便性の追究が放出する有毒ガス、それが誘発する異常気象による雪崩や洪水。氾濫する化学物質、遺伝子の組替えも静かに進められている。

遺伝子をのぞきすぎてはいけない
実用を見つめすぎてはいけない
(中略)
原子核をのぞきすぎてはいけない
中性子をぶつけてはいけない
いまこそ科学から原始の森へ
さらばわれらがアインシュタイン
「さらばアインシュタイン」より

 わたしは以前こんな作品をかいたことがある。アインシュタインの唱えた絶対空間・絶対時間の否定や、その革命的な世界観によって私たちはどんなに勇気や感動を与えられたことだろう。でも、もう彼に決別しなくてはならない。(真理の追究、知的欲求さえ今は悪となるだろう)。科学から原始の森へ。山河も生きとし生けるものも、あるものはあるがままに。これをすべての合言葉にして。

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2006年10月12日 (木)

黒木瞳はやはり詩人だった

詩人仲間の間で、ときどき囁かれる会話がある。詩人には美人がいない。(でも女性も岸田衿
子や吉原幸子などいると私は反論したりしているが)。そんな中で美しい女優の黒木瞳が詩を
かいていることは知っていた。きちんと読んだことがなかったのだが、最近、たまたま第二詩集
『夜の青空』(角川書店)を読む機会があった。
平成三年の出版だから彼女が二十代後半から三十歳前後にかけてかいたものだろう。
果たして、この美人は詩人といえるのだろうか。
詩集をめくっていくと、こんな詩が眼に留まった。 

月を跨ぎながら
明日の風を追いかける雲の背中を
僕はただ見送る

君と僕の上にかかる雲の行方
晴れるかどうか分からない

せめて僕たちは
逢瀬の隙間に二人でみつめる
夜の青空
       「夜の青空」から

夜には青空は見えない。暗黒の夜空のように、どこに向かうのか未来の見えぬ二人。
それでも愛する二人は夜空に「青空」を見ようとする。その心情が巧みに表現されている。
「夜の青空」とはいいタイトルだ。
この詩集には空、夜、月、宇宙、寂しさ(孤独)という言葉が多い。たとえば、

恋人はいない
未来を共有する人もいない
所詮ひとり

淋しさは宇宙から来る
僕の体で作ったものしゃない
           「ひとり」から

夜を隠れ蓑にして
僕は一人で泣いた
        「夜のしばり」から

ひとりの夜は
僕の心をからっぽにする
‥‥‥‥‥‥
夢をチューインガムにして
噛みながら眠る
       「きょうの季節」から

空・宇宙の中に一人で投げ出されている自分がいる。その孤独の深み、そこから湧出
する抒情。この世界観や孤独感が彼女に詩をかかせている。奥行きのある世界、内部
から湧出する孤独感、漂う抒情。やはり黒木瞳は詩人なのだと思う。美人の詩人がこ
こにいる。ただ「僕」が頻繁にでてくるのが気にならなくもない。異性に変身して書く、
そんなちょっぴり少女趣味的な面が。でも若い頃の作品だからいいか。

黒木瞳のホームページにも「五行詩」が載っている。その中に気に入った詩があった。

 空をみあげて 
 顔にあたる雨
 あなたに会いたいと泣いている
 涙がかわくのは空の上
 雨は空の途中からふっている

雨は涙でもある。そして、そうなんだ、雲はまだ半分人間界に属している。そこを越えた
宇宙との呼応、その彼方へと、癒しや、何ものかを希求する黒木の詩ごころがあるの
だろう。

最近、第三詩集『恋のちから 愛のススメ』(扶桑社)を出したようだ。
これからもかき続けてほしい。
黒木瞳のホームページはこちら。http://www.kurokihitomi.net/

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2006年8月24日 (木)

青春シーラカンスー斎藤祐樹くん、ありがとう

夏の高校野球が終わった。みごと初優勝を果たした早稲田実業の投手、斉藤佑樹くんの爽やかさが話題を呼び、社会現象となった。

喜怒哀楽の心模様をそのまま表情にださない、その控えめな話し振り、素直で素朴な言動。真夏の甲子園の七試合、ほとんど一人で投げぬき、これが948球目となる最後のストレートに球速144キロを出す。そんな豪腕さを少しも感じさせない。質問にも一生懸命に考えて答える姿がたまらなく可愛い。またマウンドで汗をふくしぐさからハンカチの王子とも称され一度に全国的な人気者になった。

 それにしても殺伐としたこの時代にこんな素晴らしい青年がよくいたものである。一昔前には彼のような球児も見られたが、どこにこんな青年が存在し得たのか、信じられないような出現である。

彼のことを「青春シーラカンス」と呼んだ評論家がいたが、少し大げさだが、そのくらいの驚きを投げかけた。

まだこの頃の若者も捨てたものてはない、多くの人たちもそう思ったにちがいない。

アパートに一緒に住み、食事を作り世話を続けたという兄も高校時代に野球をやっていたというが、弟に負けないくらい好青年である。資質というものもあるだろうが、やはり家庭環境に恵まれていたのだろう。祐樹くんの母親がテレビにでていたが、優しく賢そうな美しい女性だった。アルプスで、優勝が決まり、長男(祐樹くんの兄)と握手しながら喜んでいた父親も好印象だった。

青少年の陰惨な事件が頻発する昨今、家庭環境の大切さを浮き彫りにしてくれた斎藤祐樹くんの出現だった。

ありがとう、斎藤祐樹くん。そして、ご家族のみなさん。

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2006年6月20日 (火)

ゴミ屋敷主人の背中

ゴミ屋敷が話題になっている。敷地や家屋に古い日用品や電気製品から生ゴミまで貯めこみ、道路や人の敷地にまではみ出し腐臭を撒き散らし、近隣に迷惑をかけている。テレビクルーはその様子をくりかえして放映する。各地のゴミ屋敷主人は再三の撤去要求にも耳を貸さず、行政も手を焼いているという。

 そんななか、618日、福島県郡山のゴミ屋敷で異変が起こった。主人がついに説得に応じ、ボランティアら120人による撤去作業が行われたのだ。テレビ報道によると、なんとゴミの量は70トンに及んだともいう。そして、テレビは彼ら得意の撤去前の「ビフォア」とその後の「アフター」の両光景を再三繰り返し、「どうだ、こんなにすっきりしただろ」と得意そうだった。   

映し出されたゴミ撤去後の整理された敷地とは対照的に、ボカシを入れられたその住民の寂しそうな背中が妙に印象的だった。彼はしょんぼりして、惜しいことをしたとリポータに漏らしていたという。

 これで近隣の住民たちも、悪臭や危険から解放されて、ほんとによかったにちがいない。

 しかし、何か不思議な後味の悪さが尾を引くのはどうしてなのだろう。近隣に迷惑をかけていたゴミ屋敷主人の非は免れないのは確かだけれども。何か喜べないものが、その背後から浮き上がってくるのだ。

 ゴミ屋敷の住民たちが共通して主張するのは「これはゴミではない」「だいじなもの」という言葉である。それらは、確かに持ち主にとっては何かの役にたち、かつて愛したものたちなのだという思いが込められているのだろう。いとしかったはずのものたちを、古くなったからといって、簡単に捨ててしまえない、と。

いまは「もったいない」という言葉も死語になった。一昔前、ものは破れたり壊れたりしても、ツギハギしたり修繕したりして、可能な限り使用したものだ。それだけものには愛着を感じていた。

しかし、いまは物品はなるべく早く捨て、新しいものに買い換える。こうしなければ経済は発展しないし、景気はよくならない。その習慣が身についてしまった私たちは古いものや破損したものは素早く破棄することに何ら疑問をもたなくなった。使い捨てこそ、経済発展を促すとして奨励される。

作っては捨て、捨てては作る。それを繰り返す。そうして、私たちは地球の資源を食い尽くしていくのだろう。

もしかして、ゴミ屋敷の主人のほうこそ、正しいのではないか。ただ彼らのものへの愛着が強すぎて、その保管方法が間違っている。それだけのことではなかったのか。

このゴミ屋敷の主人は、かつて自分の役に立ち、一緒に過ごした愛しいものたちに囲まれて、幸福な日々を送っていたのではなかったのか。ものたちへの愛を忘れ果てた、殺伐な現代にあって。

あの寂しそうなゴミ屋敷主人の背中は、いまもわたしの中で尾を引いている。

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2006年5月27日 (土)

詩は心の闇を照らし世界を変える

      メンドオーヨ氏は警鐘を鳴らす

     ■これはモンゴルの日刊紙『今日のモンゴル』2006.4.27日付に掲載されました。

                              「近況報告」参照     

                                       三田 洋

言語の深遠さや神秘性が軽視され、一つのツールのようにしか認識されない、そんな日本の風潮に警鐘を鳴らす講演に遭遇した。昨年の11月、東京のホテルで行われたアジア環太平洋詩人会議でのことである。

会議のメインテーマ「自然と生命の声を世界に」の基調講演には日本、韓国、中国、台湾、モンゴルの詩人たちが登場した。それぞれ母国の詩の状況や問題点などを提示し興味をひいたが、私が最も感銘を受けたのはモンゴルのメンドオーヨ氏の「詩は地球の光」という講演で、詩や言語への畏敬の念や信頼に充ちていた。言語が本来包容している深遠なエネルギ―や奥行きがモンゴルの風土に息づいていることを氏は熱っぽく語った。元時代の政治家の多くは詩の書き手であったこと、シャマンにも詩が重要な役割を果たしていることなど実例をあげ、詩と社会との深い結びつきを紹介した。後日、氏から知らされたのだが、詩の朗読会は大ホールで催されテレビ中継されるほど活況を呈しているという。詩をめぐる状況の日本との落差に衝撃をうけた。

さらに特筆すべきは言霊信仰が依然として風土と暮らしに息づいていることであった。詩を読み空に捧げながらの雨乞いの成功例などをあげ、詩のもつエネルギーや潜在力は大自然をも揺り動かし新しい世界を創造すると氏は訴えた。

モンゴルでは善い言葉の先には油(善いこと)、悪い言葉の先には血(悪いこと)という諺があるという。それはかつての日本に息づいていた「倭の国は言霊のたすくる国ぞ」(柿本人麻呂)の言霊信仰が今も健在であることを示している。

言語の深遠なる奥行き・神秘的エネルギーが現在も息づいているからこそ、詩や詩人は畏敬の念を受け風土に根づいている。それは文明・情報まみれの中で詩を営む私たちに鋭い警鐘のように響くのだった。

メンドオーヨ氏は講演をこう結んだ。心の底から湧出した言葉は人間や社会に光を与える。詩は偉大な力を秘めている。詩は心の闇を照らし清め、国境を越え人類の幸福と平和のために必ず役立つはずだ。

講演を契機に氏と私の交流は続いている。

       

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2006年5月 9日 (火)

夢・無意識・詩について

 夢を見ない人がいるらしい。不思議でしかたがない。わたしなどは見ない夜は一日も
ないくらいだ。専門家によると、見ない人もじつはきちんと見ていて覚醒時には忘れてい
るのだともいう。
 わたしの夢はだいたい歩いている場面が多い。どこかに行こうとしているのだが、はっ
きりしない。 いや正確にいえば「行こう」としているのではなく、「どこかにしきりに帰ろう
と」しているようである。どこへ帰るのか、自分の家のようでもあり、そうでもなさそうでも
ある。周囲には少し人はいて、知らない人が多いが知っている人もいたりする。あたりは
茫洋としていて寂しさが霧のように降っている。その孤独感はどこからくるのか分からな
い。歩いているときはいつも無性に寂しいのである。そういう夢ばかり見ている。目覚め
てもそれはずっと続いていく。
 夢には知らない人は現れないというのはたぶん誤りだ。夢には色彩がないというのも
偽りである。何というきれいな色だろうと思いながら見ていることもある。 わたしにとって
色のない夢はない。
 登場人物は見る間に変形していく場合も多い。 知人だと思っていると、全然違う人物
になっている。女が男になったり、例えば父親が下半身馬のようになってしまった夢も
った。 腕だけが恐ろしく肥大していたり、ある部位だけが長かったり、シュールリア
リズム絵画のような場面も多い。
 この二日間、気になる女性が出てきた。脚が妙に細いやや背の高いひとである。
夕べのひとはベージュ色のハーフコートを着て、スラックスの細い脚をみせ、小さな広
場のようなところに何となく立っていた。決してこちらを見ることもなく左方を向いてい
て、まもなくそちらの方へ行ってしまった。(左か右かにも何かありそうだ)。年の頃三
十代くらいに見えた。一昨日も同じような人物が出てきたが、同一人物ではなかったよ
うだ。こちらを意識していない点は変わらない。これは何かを暗示しているのだろう、き
っと。
 夢は潜在意識の具現だともいう。何かを暗示するともいう。でも陳腐な夢もたくさん見
る。前夜のテレビに出てきたタレントだとか俳優だとかが、わたしと話をしていたりする。
思わずあとで笑ってしまう。
 意識は膨大な無意識のほんの一部なのだと思う。「意識界」が部屋程度の広さだとす
ると「無意識界」は都市全体の、あるいは日本国くらいの広さかも知れない。いやそんな
程度ではなく、地球へ宇宙へまで広がっていくのではないかとわたしは思っている。
 わたしたちがさまざまな行動や決断を下すとき、それを意識して選択しているようでも、
実は広大な無意識界に左右されていたりする、無意識界に行動を選択されているので
はないかと思っている。それほど無意識界はわたしたちにとって重要な世界だ。
 それは詩や芸術との関連でも「核」のような役割を果たしていると思う。詩や芸術作品
のほんとうの評価や感動は無意識界での作者と鑑賞者との触れあいの度合いによるも
のではないのかと思う。例えば作品を前にして、その意味内容はあまり分からないが、
何だか底知れぬ感動を受ける場合がある。それは無意識界深く作者と鑑賞者が触れあ
うことができていることではないか。優れた作品とは作者と鑑賞者とがどれだけ無意識
界深くで触れあうことができるかどうか。 その触れあいの度合いで評価されるのだろう
と、わたしはずっと思いこんでいる。そんな感動や評価は持続し変わることがない。
 そのように重要な世界でありながら、わたしたちは無意識界のことなどあまり考えるこ
となく暮らしている。しかし、大事なことは懸命に生きること、思うこと、感じること、それ
がそのまま無意識界に触れあうことだと思っている。その日常の集積こそ、狭い意識界
を広大な無意識界へと広げていく。それがわたしたちの感性や認識を深めていき、わた
したちを豊かに深く彩っていくのだと。
 夢もまたそこへ通じる一つの入り口でなのかも知れない。日々の夢を反芻してみる。
意味は分からなくても、あるがままにきちんと受けとめておくこと。それが無意識界との
触れあいをひろげ、深めていくことになるのではないだろうか。 
                                  (三田洋サイト「砂の華」より)

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