アランよ、あなたのような優しい哲学者、どこにもいない
書評を依頼されて、アランのブロポ集を読んでいる。アランはあの『幸福論』の著者だ。プロポとは「語録」とでも訳せばいいだろうか。
すべての人は幸福になる権利がある。アランの哲学はここから始まっているように思う。それにしてもこの優しさは何だろう。
アランが他の哲学者たちとの決定的な違いはその実践主義にあるとわたしは思っている。それは幸福の肉体的機構「あらゆる幸福は意志と抑制の産物である」というアランの主張からくるものだろう。それによってどんなに多くの読者が苦悩や不幸から救われたことだろう。かつてこのような優しい哲学者がいただろうか。
例えば「心遣い」の中で、何気なく「顔色が悪いね」と声をかけられることにより、健康なものでも疑心暗鬼からノイローゼになったりする。「教訓です。決して顔色が悪いと人に言ってはなりません」。
また「剣の舞」では後悔や将来への不安に慄くひとに対して、アランは優しくこう助言する。「過去と未来とは、思考するときしか存在しない」、現在には何もないのです、と。
あるときには、人は何故死ぬのか、ペストは何故存在するのか、そのような追究はやめようと呼びかける。思考してどうにもならないことを追い求めるのは不幸になるだけだ。「存在するものを愛すること」それが大切なことだ、と。
アランは人を幸福にするためには、このように哲学者の道を放棄までしてみせる。すべての問いに立ち向かうのが哲学の道であるはずなのに。読みながら涙がにじんでくる。
アラン、ありがとう。あなたのような哲学者、どこにもいない。
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