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2006年6月20日 (火)

ゴミ屋敷主人の背中

ゴミ屋敷が話題になっている。敷地や家屋に古い日用品や電気製品から生ゴミまで貯めこみ、道路や人の敷地にまではみ出し腐臭を撒き散らし、近隣に迷惑をかけている。テレビクルーはその様子をくりかえして放映する。各地のゴミ屋敷主人は再三の撤去要求にも耳を貸さず、行政も手を焼いているという。

 そんななか、618日、福島県郡山のゴミ屋敷で異変が起こった。主人がついに説得に応じ、ボランティアら120人による撤去作業が行われたのだ。テレビ報道によると、なんとゴミの量は70トンに及んだともいう。そして、テレビは彼ら得意の撤去前の「ビフォア」とその後の「アフター」の両光景を再三繰り返し、「どうだ、こんなにすっきりしただろ」と得意そうだった。   

映し出されたゴミ撤去後の整理された敷地とは対照的に、ボカシを入れられたその住民の寂しそうな背中が妙に印象的だった。彼はしょんぼりして、惜しいことをしたとリポータに漏らしていたという。

 これで近隣の住民たちも、悪臭や危険から解放されて、ほんとによかったにちがいない。

 しかし、何か不思議な後味の悪さが尾を引くのはどうしてなのだろう。近隣に迷惑をかけていたゴミ屋敷主人の非は免れないのは確かだけれども。何か喜べないものが、その背後から浮き上がってくるのだ。

 ゴミ屋敷の住民たちが共通して主張するのは「これはゴミではない」「だいじなもの」という言葉である。それらは、確かに持ち主にとっては何かの役にたち、かつて愛したものたちなのだという思いが込められているのだろう。いとしかったはずのものたちを、古くなったからといって、簡単に捨ててしまえない、と。

いまは「もったいない」という言葉も死語になった。一昔前、ものは破れたり壊れたりしても、ツギハギしたり修繕したりして、可能な限り使用したものだ。それだけものには愛着を感じていた。

しかし、いまは物品はなるべく早く捨て、新しいものに買い換える。こうしなければ経済は発展しないし、景気はよくならない。その習慣が身についてしまった私たちは古いものや破損したものは素早く破棄することに何ら疑問をもたなくなった。使い捨てこそ、経済発展を促すとして奨励される。

作っては捨て、捨てては作る。それを繰り返す。そうして、私たちは地球の資源を食い尽くしていくのだろう。

もしかして、ゴミ屋敷の主人のほうこそ、正しいのではないか。ただ彼らのものへの愛着が強すぎて、その保管方法が間違っている。それだけのことではなかったのか。

このゴミ屋敷の主人は、かつて自分の役に立ち、一緒に過ごした愛しいものたちに囲まれて、幸福な日々を送っていたのではなかったのか。ものたちへの愛を忘れ果てた、殺伐な現代にあって。

あの寂しそうなゴミ屋敷主人の背中は、いまもわたしの中で尾を引いている。

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