あるものはあるがままに
ものごとへの根源的な追究や変革への情熱は精神的社会的な基盤を豊かにし魅力的なものにしてきたことは確かだ。そのことで私たちはいかに多くの知的な喜びを得、心身の苦痛から逃れ、さまざまな利便性を獲得してきたことだろう。しかし昨今はこの自明の論理が否定される状況を呈している。私たちは追究と変革にあまりに執念を燃やしすぎた。
科学も究極の物質探しに明け暮れてきた。物質の究極とされた原子はじつは電子と原子核から成ることが判明し、さらに原子核は陽子と中性子から成り、その後も数多くの素粒子が発見された。
このような物質の根源への追究に何ら疑問を挟むものはいなかった。現在では根源とされるものは物質ではなく弦のようなものとする超弦論が支配的であるが、わたしは疑問を持つ。この階層構造は実は無限に続くものではないか。人類はそこへは永遠に到達し得ないだろうと。世界には始まりも終わりもない。すべては巡っている。物質の根源への旅も元のところに戻っていくにちがいない。さらに世界は無数の次元でできている。次元を異にすればもう法則も理論も概念も通用しない。どんな崇高な発見も理論もやがて水泡に帰してしまうだろう。
悪魔の兵器・核爆弾はそんな物質への飽くなき追究の過程で生まれた。原子核の組成を調べるためにそれに中性子を衝突させる。それが禁断の扉を開いてしまい、理論の構築者アインシュタインをのちに後悔させることになる。
私たちの欲求は原子核を原子核として、あるがままに存在させておくことを許さない。それは自然環境や動植物へ、人間自体にも及ぶ。ブルドーザーに開発される山河。利便性の追究が放出する有毒ガス、それが誘発する異常気象による雪崩や洪水。氾濫する化学物質、遺伝子の組替えも静かに進められている。
遺伝子をのぞきすぎてはいけない
実用を見つめすぎてはいけない
(中略)
原子核をのぞきすぎてはいけない
中性子をぶつけてはいけない
いまこそ科学から原始の森へ
さらばわれらがアインシュタイン
「さらばアインシュタイン」より
わたしは以前こんな作品をかいたことがある。アインシュタインの唱えた絶対空間・絶対時間の否定や、その革命的な世界観によって私たちはどんなに勇気や感動を与えられたことだろう。でも、もう彼に決別しなくてはならない。(真理の追究、知的欲求さえ今は悪となるだろう)。科学から原始の森へ。山河も生きとし生けるものも、あるものはあるがままに。これをすべての合言葉にして。
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