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2008年3月30日 (日)

ショパンの音の秘密

 ショパンには謎が多い。
 楽譜に指定された不思議な指使い、短すぎるぺタルの離し方、書き添えられた
演奏の指示など。その謎を解き明かそうとして、ショパンを愛するピアニスト仲道郁
代が小学生の娘とヨーロッパを訪れ、ショパンの足跡をを旅するNHKの番組「ピアノ
の詩人ショパンのミステリー」を見た。
 圧巻だったのは、ショパン時代の古いピアノに向かって仲道が弾きはじめる場
面だ。ショパンがのり移ったかのように指が思わず動き出す。「ああもう時間を忘れ
てしまう」とつぶやきながら。「子犬のワルツ」「前奏曲 第4番ホ短調」「ノクターン
嬰ハ短調遺作」など、指はショパンを奏でていく。その何という微細な美しい音の
響き。
 それは現代のピアノと全く違うのだと彼女はいう。大会場に響き渡る音量こそな
いが、音符の細部まで繊細に演じることができる。それは二○○名程度収容する
会場に適したピアノだからだ。
 弾きながら仲道は謎が解かれはじめていくのを感じていた。ぺタルを押し続けて
も決して濁らないその響き―ぺタルの指示の謎、一本の指だけで弾かせる美の音
ーこの指には特有の音があるというショパンの感性。このピアノでこそ、ショパンの
美の本質をつむぎだすことができるのだ。そこにある、このノクターン遺作の、何と
いう哀しい美しい響きーー。
 その音はかつて体験したあらゆる演奏を超えて響くのだった。こんなショパンを
わたしは聴いたことはない。
 現代の進歩しすぎたピアノはショパンの繊細さや美を損なってしまっていると仲
道郁代はいう。

 そういえば以前、わたしはそれに近いピアノの響きを聴いたことがある。
 近所に住んでおられた著名な作曲家清瀬保二氏宅を仕事で訪ねたことがあっ
た。質素な居間には見たこともないような古いピアノがあって、それが気になって
眺めていると、氏は「こんないい音ですよ」と言って立ち上がって弾きはじめた。
 そのときの柔らかくて美しい音をわたしはいまも忘れない。わたしが聞きほれて
いるのが嬉しいらしく何度も弾いてくださった。それはフランスのエラール社製
のピアノだという。
 後で知ったのだが、そのピアノの音は繊細で美しく、当時垂涎の的になってい
て、清瀬氏がヨーロッパから購入され話題を集めたそうだ。その貴重な音を聞か
せていただいた氏に感謝したい。

 ショパンに限らずバッハやモーツァルトなどの曲も本来同時代の楽器で演奏し
なければその本質は表現できないのかもしれない。私たちはこうしてほんとうの
美を少しずつ失っていくのだろう。       (2008/03/30)

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