2007年5月10日 (木)

「○○さんを見た」有名人ウォッチング

 わたしの住んでいる地帯には何故か著名人が多い。ごく普通の何の変哲もない街なのだが、テレビの収録スタジオがあったり、隣の駅が一応高級住宅地という立地条件もあるのかもしれない。
 自転車散歩が好きだから、毎日のように出かける。そこで一番よく出会うのが演出家のあの「和田勉さん」だ。あのひとは百メートル前方からでもすぐわかる。何しろ顔も着るものも派手だから。彼は何故かよくわたしの邪魔をする。ATMのすぐ前に並んでいたり、郵便局でも番号札が一つ前だったり。最近は、立派な自転車に乗っているのを見た。奥さんの和田エミさんに買ってもらったのかな。
 その次によく出会うのは「秋野暢子さん」である。何しろ、スタイルが抜群。若い女性かなと思って通り過ぎると彼女だったりするような若づくりだ。いつだったか、100円ショップに入っていると、親子連れの客が隣にきて、「二つ買ってもいいんだよ」と娘に言っているので見たら彼女だった。その娘さんの可愛いこと、ちょっといない位。このところ、離婚してから見かけていないから、引越ししたとしたら残念。
 ある日のTM銀行でのこと、女性が隣に座っていた。どこかで見たような人だと思ったら、「八千草薫さん」だった。窓口でご主人の映画監督の名前で呼ばれていたので、間違いない。年齢から見ても随分若々しい。
 最寄の駅は改装されずいぶん立派になったが、以前は自宅に帰るには踏み切りを渡らなければならなかった。いつだったか、遮断機があがるのを待っていると、洋服を肩からかけチラチラ顔をみせるように振り返っている女性がいた。顔の四角なタレント「光浦靖子さん」だった。
 商店街に自転車屋さんがある。それがトンネルズの「木梨憲武さん」の実家だ。彼そっくりな人のよさそうな親父さんが仕事している。以前の店は駅から随分遠く、都内でいちばん小さい自転車屋さんといった感じだったが、大手スーパーの立ち退きにあってか、かなり大きく立派な店になり客も増えたようだ。
 それからこれはかなり前だが、作家の「大江健三郎氏」が自転車で道端の干し魚を買う姿を目撃した。個人的に何度かあっているから名乗ればわかってもらえるのだが、こんなときには見過ごさなくてはいけない。目刺しを指差し何やら質問していた。こうして食材を買うのが楽しいと文学雑誌に書いているのを読んだことがある。
 これも随分前だが、「司葉子さん」がスーパー西友(今はない)で買い物をしていた。化粧は濃い目だが、きれいだった。司さんの邸宅は隣街にあるが、広い芝生の美しい庭がある。
 電車で見たのは「唐十郎氏と李礼仙夫妻」だ。李さんががしきりに話かけるのに知らん顔をしていた。そのせいか、まもなく離婚したようだ。
 最近、惜しまれて亡くなった「植木等さん」も見かけたことがある。お宅はわたしの家から徒歩数分の小高い場所にある。眼が合ったが、挨拶するわけにもいかず、困った。
 その近くに娘がファンの「中村雅俊さん」の家があったらしいが、そう遠くないところへ引っ越したという。
 隣の街で、自転車に乗った指揮者の「小沢征爾さん」とも眼が合ったが、やはり戸惑ってしまった。こちらはよく知っているのに、向こうさんは知らない。こんなとき、みなさんはどうします ?

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2007年2月16日 (金)

あるものはあるがままに

 ものごとへの根源的な追究や変革への情熱は精神的社会的な基盤を豊かにし魅力的なものにしてきたことは確かだ。そのことで私たちはいかに多くの知的な喜びを得、心身の苦痛から逃れ、さまざまな利便性を獲得してきたことだろう。しかし昨今はこの自明の論理が否定される状況を呈している。私たちは追究と変革にあまりに執念を燃やしすぎた。

 科学も究極の物質探しに明け暮れてきた。物質の究極とされた原子はじつは電子と原子核から成ることが判明し、さらに原子核は陽子と中性子から成り、その後も数多くの素粒子が発見された。
このような物質の根源への追究に何ら疑問を挟むものはいなかった。現在では根源とされるものは物質ではなく弦のようなものとする超弦論が支配的であるが、わたしは疑問を持つ。この階層構造は実は無限に続くものではないか。人類はそこへは永遠に到達し得ないだろうと。世界には始まりも終わりもない。すべては巡っている。物質の根源への旅も元のところに戻っていくにちがいない。さらに世界は無数の次元でできている。次元を異にすればもう法則も理論も概念も通用しない。どんな崇高な発見も理論もやがて水泡に帰してしまうだろう。
悪魔の兵器・核爆弾はそんな物質への飽くなき追究の過程で生まれた。原子核の組成を調べるためにそれに中性子を衝突させる。それが禁断の扉を開いてしまい、理論の構築者アインシュタインをのちに後悔させることになる。

 私たちの欲求は原子核を原子核として、あるがままに存在させておくことを許さない。それは自然環境や動植物へ、人間自体にも及ぶ。ブルドーザーに開発される山河。利便性の追究が放出する有毒ガス、それが誘発する異常気象による雪崩や洪水。氾濫する化学物質、遺伝子の組替えも静かに進められている。

遺伝子をのぞきすぎてはいけない
実用を見つめすぎてはいけない
(中略)
原子核をのぞきすぎてはいけない
中性子をぶつけてはいけない
いまこそ科学から原始の森へ
さらばわれらがアインシュタイン
「さらばアインシュタイン」より

 わたしは以前こんな作品をかいたことがある。アインシュタインの唱えた絶対空間・絶対時間の否定や、その革命的な世界観によって私たちはどんなに勇気や感動を与えられたことだろう。でも、もう彼に決別しなくてはならない。(真理の追究、知的欲求さえ今は悪となるだろう)。科学から原始の森へ。山河も生きとし生けるものも、あるものはあるがままに。これをすべての合言葉にして。

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2005年11月 1日 (火)

日本は変わってしまった

 異様な事件が頻発しています。ふつうの殺人事件はもう記事になりません。親が子を、子が親を。子が子を殺める。それらは日常的に起こっています。1970年代前には考えられなかったことです。わたしは日本人は70年代以降、変わり始め加速し、この数年、もうどうしようもない事態になったと思っています。

 すぐキレる。忍耐力がなくなった。怒ると自分で自分を制止できない。とことんまでいってしまい、ついには相手を殺害してしまう。ふつうのニンゲンがそうなってしまうのです。よく事件が起こって、「あんな人が信じられない」「いい方でしたよ」という近隣の人たちのコメントが載っています。

 以前は犯罪者と一般者との間に深い淵があったのです。いまは街中の溝のようにひょいと跨げは向こう側にいけるのです。どうしてこんな時代になったのでしょう。

 わたしはだぁれ、あなたはだぁれ。

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2005年9月28日 (水)

空のアルバム

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megamiko

tqteshina1

kayoisunset

seafrom_kayoi

高原や海で撮ってきた空のアルバムです。

空からどんな消息が届くのでしょうか。

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